実感なき景気回復

昨日今日と晴れの日が続くも、先日の雪は融けやらず道路脇にうず高く積み上げられたままである。それでも雪の下から寒あやめが花を覗かせ、寒椿にはメジロらしき野鳥が飛来し、冷え込んだ庭にも少しずつ明るさが戻ってきたようだ。
今朝の朝日新聞に「GDP,意外な減速」との見出しで、内閣府の発表した昨年末のGDP速報値(年率1%増)が報じられていた。「民間エコノミストらに驚きが広がった」とあるが、むしろエコノミストが驚いている事の方が意外だ。円安で輸出が伸びると囃すも、すでに多くの輸出産業では事業の海外移転など円高対策を推し進めていたであろうし、少子高齢化での増税やら正規雇用の減少と財布のひもを締めざるを得ない状況で、輸入品の値上げとあらば当然の結果でもあろう。1万円の弁当が売れたとか数100万円もする福袋が登場したとかマスコミの話題は多々あったとしても、一部のお金持ちの浪費が日本を支えている訳ではない。
同じ日の朝日新聞のコラムでは、「消費が喚起されなければアベノミクスは失敗」との視点から、国民の金融資産の6割を持つ「高齢者のマーケットの開拓」を提案していた。しかし、少子高齢化社会では年金額が増える訳でもなく、借金大国に十分な福祉を期待できないとならば、高齢者もアベノミクスに追随する訳にもいくまい。
景気対策を理由に原発問題などのエネルギー政策も先送りとなり、近隣諸国との外交問題も展望もないまま、安倍首相の個人的な信念による靖国神社参拝、憲法改正集団的自衛権、道徳教育復活と、戦前への回帰のみがアベノミクスの代償として加速されるのであろう。
記者有論のコラムに、アベノミクス小泉政権下の「実感なき景気回復」の焼き直しだとする悲観的な意見が述べられていた。ではどうすればいいのか、野党やエコノミストから建設的な提案が出てこないとあらば、早晩日本沈没という事であろうか。
今日の一句「猫柳 猫撫で声に 揺れ動き」