同一労働同一賃金

やっと晴天の日が続くようになったが、朝夕かなり冷え込むようになり室内でも厚手のジャンパーを着込んでいる。それでも窓から差し込むやわらかい陽差しは、改めて太陽の恵みで生かされていることを思い起こさせてくれる。
今日の朝刊、東京高裁が「同一労働でも賃下げは社会的に容認されている」との判断を示したと報じていた。社会的に容認されているとの判断の根拠はどのようなものであろうか。同一労働非同一賃金が存在していたとしても、果たして社会的に容認されていると言えるのであろうか。不平等や悪慣習は身近にいくらでも挙げられるが、是正するのに解決すべき課題があるということであって、決して社会的に容認されているわけではない。
俳句会の11月の兼題は、「焼き芋」だそうだ。焼き芋は庶民のおやつのイメージであったが、最近は高くなった。焼き芋は味が栗(九里)に近い、あるいは栗より(九里四里)うまいので別名「八里半」とか「十三里」などというそうだ。こんな隠語めいた別名がどうして生まれたのであろうか。
かってのダイオキシン騒動で「落ち葉焚き」が姿をけし、焼き芋はスーパーで売られるようになった。過剰なクリーンを追い求めると庶民文化が姿を消していく。
今日の一句「焼き芋が ポテトフライに 置き換わり」