多忙な教員

先日のインターネットでの読売新聞の記事で、横浜市教育委員会が教員の長時間労働解消への理解を保護者に求める文書を出していることを報じていた。
部活動や授業の準備で教員が多忙を極めていることは容易に想像がつく。しかし、「理解を求める」文書を「協力を求めている」と表現し、『どう協力すればよいのか市民は困惑している』とのコメントを掲載しているが、「理解を求める」と「協力を求める」とは同意語といえるか?
加えて、そもそもなぜこんな文書を市教育委員会が保護者に対して出したのかを、もっと掘り下げるべきであろう。「多忙な教員に対する保護者の過度な期待を戒める」、もしくは「過度な要求が教員の多忙の一因である」と教育委員会は考えているのかもしれない。あるいは、残業短縮への取り組みに対して、市民からの反発を恐れているのかもしれない。
教育委員会は、学校教育における人事・総務の権限を持つところであるならば、実態の客観的データに加えて、その寄って来る原因・理由も考察すべきであろう。お役所的な文書と表面的な報道記事は、『どう受け止めればよいのか困惑するばかりである』
今日の一句「花開き 日差しに耐える アマリリス