線量測定は何のため

6月22日の朝日新聞夕刊に「線量 測っても不安」、「基準なく下せぬ評価」との見出しが目にとまった。記事の中身は「国がはっきりした安全基準を示していないからだ」とお上の判断を要求している。これは単なる窓口担当者の責任逃れの口実であろう。
避難地区で政府が示した目安20mSVに対しては、もっと下げろとの批判を受けて1mSVが目標値となった。確固たる裏付けのある数値ではないから、当然1mSVを超えても大丈夫かと聞かれても答えようがない。専門の学者らに評価を示してもらうつもりだそうだが、先日の東大構内での測定結果に対してすら、「問題ない」とコメントする事がけしからんと批判された訳だから、評価できる専門の学者とは一体誰のことであろうか。
許容できるリスクを設定するなら基準を設けることはできる。だが、たとえ安全基準が示されても、風評被害に見られるように不安が解消されることにはならないだろう。
安心を求めてみても、絶対安全という保証は何事によらずありえない。
やみくもな線量測定は、BSE騒動における意味のない全頭検査と似たところがある。
今日の一句「安全か 不安あおられ 青嵐」