遺伝子組み換え作物

今年もあますところ10日となった。やっと年賀状を書き終えて投函にこぎ着けた。パソコンを使っての印刷だが、相手に応じて3種類ほどの文面を使い分けての作業である。手書きでなくても少しはこちらの意が通じるかと思う。
今朝の朝日新聞に「忍び寄る遺伝子組み換え作物」なる見出しが目にとまった。「忍び寄る」なる表現は良くないことにしか使われない言葉である。「忍び寄る好景気」とか「忍び寄る幸せ」などという表現はない。従って「遺伝子組み換え作物は良くないもの」との前提で書かれた記事であろう。
我々の日常を振り返ってみるにあらゆる身近なものには全てリスクが伴う。電車に乗れば事故にあうかもしれない。食中毒の患者は年間数万人はいる。しかしリスクは小さく我々の日常生活に必要だと判断し、我々は電車にも乗るし生ものも口にしている。要はリスクをどこまで負えるかの判断であろう。原発など今となってはリスクが大きすぎるので止めた方がよいと思うが、遺伝子組み換え作物はどうであろうか。
記事中に「永年食べ続けていたら何が起こるか不安の声がある」とコメントされている。不安だという感情的な記事は風評と同じレベルだし、世界的にこれだけ普及した現在、安全性のリスクはかなり低い。農家の高齢化や日本の低い自給率等を勘案すればその有用性は高く、もっと前向きに「遺伝子組み換え作物」を受け入れてもいいのではないだろうか。
今日の一句「冬の月 実れる蜜柑 照らしおり」