科学者の仕事

あと数日で今年も終わりだ。部屋の片づけ、トイレやレンジの油汚れの掃除、庭木に寒肥を施し、と少しは年末らしき作業をやってはみたが、ため込んだがらくたが相変わらず幅を利かせているので余り変わり映えはしない。
22日の朝日新聞の社説で原発活断層の問題に関連して「科学者の仕事をつらぬけ」との見出しで、原子力規制委員会は「科学的議論を尽くせ」と注文をつけている。社説を執筆している人は客観的に白か黒かの判断をつける事を求めているようだが、科学的判断とはあくまでもリスク判断である。絶対確実とは誰も言えない以上、どの辺までリスクを許容できるかの判断となる。「可能性が高い」との判断は、「可能性は無視できないが、断定はできない」とぼかした表現であっても同じである。リスクを受け入れるか否かは、科学者が判断するとしても政治的判断になろう。
同じ日の夕刊に米FDAが遺伝子組み換えサケの「環境への影響なし」と公表し、食品として承認される見通しとなった事が報告されていた。「環境に与える負荷(自然界で繁殖するリスク)は小さい」との判断によるものであろうが、立場を異にする米NGO食品安全センターなる団体は「誤った判断だ」としているそうだ。原発同様、リスクが許容できるか否かの選択の問題である。
今日の一句「冬されや 木洩れ日の あたたかさ」