遺伝子組み換えの痕跡

22日の朝日新聞で「遺伝子操作 消える痕跡」との見出しで徳島大と広島大から発表された新技術を紹介していた。記事のトーンは、この新技術の有用性を評価するというよりも、遺伝子組み換えか否かが判別できないことへの危惧にある。
育種は広い意味で遺伝子改変操作であり、収量、耐病性、気候変動への適応、産卵率、生育の早さなど、突然変異種の利用やら人為的な交配により人類は都合のよい動植物を意図的に増やしてきた。その結果、広く農業や畜産業では野生の原種を淘汰してきたのではなかったか。
遺伝子組み換え技術が危険なのではなく、得られた新品種の安全性が問題なのである。自然界には人類にとって有害なものも少なくない。遺伝子組み換え技術を用いたか否かの詮索はあまり意味があるとは思えない。しかし、「安全だと言われても不安だ」として、小生と意見を異にする人も多いかもしれない。
今日の一句「百日紅 いかなる手を経て 咲きぬるか」