反原発の感性

今朝の朝日新聞天声人語に「涼の字を眺めるだけで、ふっと体感温度が下がる気になる。梅干を見ると唾がわくのと同じ作用だろうか」との記載があった。しかし、この感性、反原発を声高に叫べば原発問題が解決するような錯覚に陥っているとすれば問題だ。
原子力は大きなリスクも背負っている事は確かだが、他方で人類に恩恵を与えておりどこで線引きするかの議論を詰める必要がある。これは客観的に議論できる科学の領域ではなく、一人一人の人生観、価値観、生活観により異なる。しかし、この次元での議論でも科学的な検証データに基づかないと議論は空転する。
原発のデモへ参加する事が脱原発への階段を上がっていると思うなら、貧しい人へのわずかな施しにより得られる自己満足感と同レベルだと言えよう。
俳句会の8月の兼題は「百日紅サルスベリ」だそうだ。我が家の百日紅はまだ花をつけていない。
今日の一句「陽を浴びて 蝉も滑るや 百日紅