戦争は残虐

シリアのアサド政権による市民虐殺は度々報道されてきた。昨日の朝日新聞「機能不全の安保理」なる記事でも「アサド政権の弾圧で多くの犠牲者が出ているにもかかわらず、、」との表現が枕詞のように記されていた。しかしシリア反体制派も戦争当事者であれば、残虐な行為を行う点で違いは無い。先日の東京新聞では「シリア軍幹部を拘束して両手両足を切断した上、兵士22人を処刑した」とあるが、朝日新聞では「兵士22人を処刑した」としか伝えていない。反体制派の残虐性をイメージさせたくなかったのかもしれない。どちらの立場に立つかで伝える内容も表現の仕方も変わってくる。
21日の社説で朝日新聞は「市民の大量虐殺に手を染めたアサド大統領への退陣要求は当然だ」と述べており、アサド大統領退陣要求の根拠は市民虐殺行為にあるかのようだ。だとすれば視点を変えて、市民虐殺を行わせないために反体制派の活動を抑制しアサド政権維持に力を貸すという選択肢もあるというのだろうか。無防備な一般市民殺戮をいうなら歴代のアメリカ大統領の右に出る者はいないが、他国の市民なら良いが自国の市民の殺害はよくないという事であろうか。
内戦であれ他国との戦争であれ、そしてどんな大義名分を持ち出そうが、戦争の被害者は市民であり残虐でない戦争などは存在しない。
今日の一句「昼寝覚め 戦争の悪夢 汗をかき」