原発の「脱ぎ方」

5月1日付けの朝日新聞の「終わりと始まり」のコラムで池澤夏樹氏は、「住めない国土を作った罪」と題して、相変わらず財界と政府・官僚への断罪に終始している。他方、同じ紙面で小田嶋隆氏は「原発の脱ぎ方を考えよう」と題して「安全宣言より廃炉の時期・手順」が議論の焦点である事を指摘している。自らを被害者と見立てて、相手を批判し具体的で現実的な議論に踏み込めないのが多くの文芸評論家の限界であるが、原発に依存しないエネルギー政策をどう具体化させるかは専門家に任せれば良いという訳にはいかない。「原発による電気を使いたくないから沖縄に住む」といった感傷的な選択肢は池澤氏など恵まれた一部の日本人だけである。原発の即時撤廃による様々な生活への影響と再生可能エネルギー転換への実現性への不安がある以上、今議論すべき事は、小田嶋氏の言うように、廃炉をいつどのような順番で行うのか、あるいはどの原発を再稼働させるのかについて、まさに社説で述べているように「市民参加型の熟議」を行う事であろう。
小田嶋氏の前向きの提案は、極めて常識的で国民の支持を得られるものと言える。
今日の一句「聖五月 原発熟議に 知恵芽吹く」