上司の責任

「やらせメール」問題で、九州電力の社長が、引責辞任する見通しとなったそうだ。本件では、原子力管理部の課長の独断でなされたとされていたのが、実は会社ぐるみの行為であった事が問題視されている。だが、むしろ問題とすべきは全責任を課長に負わせ、上司が責任を取ろうとしなかった事であろう。権限のみを振りかざして責任を部下に押し付ける輩、そしてそんな事がまかり通る会社は最低である。が、こんな事例は別に九州電力に限った事ではない。
もう時効であろうが、私が転職するきっかけとなったのは、営業部でこっそり行われていた違法な製品の輸入に絡むものであった。通関時にばれてしまい、突然本部長から呼び出されて、なんとか通関しろと指示された。私にとって営業部の行為は寝耳に水の話ではあったが、輸出入を担当する総務課長に「本部長命令だから何とかしなくては」と話した。この事が本部長の耳に入り、翌日いきなり「俺に手錠をかけるつもりか」と怒鳴られた。要は事がばれたときには、本部長に責任が及ばぬようにせよということであった。本部長は大手都市銀行からの転職組だから、きっと銀行内では部下に責任を取らせる事が当たり前になっているのであろう。この件は私が播いた種でもないことから無視する事としたが、もうこの人の下では仕事は出来ないと転職を決意した次第である。幸い私が辞めて損をするのは会社の方だとの自負もあり、ピント外れの本部長など相手にせずとも仕事は出来たのでストレスに感じることもかった。周りはかなりハラハラして成り行きを見ていたようだが、お陰でより良い条件で転職先が見つかり人生をよい方向に舵取り出来た。
今回の九電の事件での原子力管理部の課長は、どうされているであろうか。上司の意に沿わぬ輩は、厳しい査定を受けているのであろうか。
今日の一句「大輪の 向日葵支える 太き茎」