大学の役割

庭の沈丁花が咲きはじめた。老木のせいか強烈な香りはしないが、鼻を近づけると香りがないわけではない。こちらの臭覚が劣化しているのかもしれない。チューリップもだいぶ大きくなってきたからもう春はすぐそこである。
昨日の朝日新聞のオピニオン欄で、「文系学部で何を教える」とのタイトルで実学か学術的な教養かが議論されていた。
経営コンサルタントの富山和彦氏は「実社会に通じる教育」こそ重要と述べ、他方名古屋大学日比嘉高氏は、「危機を乗り越えられる底力を蓄えること」が大切だと述べている。
大学にアカデミズムを求めるか職業訓練学校とすべきかの議論である。
日比氏のいうように学生が「沢山の本を読み、膨大な学説と向き合い、いろんな可能性を検証してくれる」ならアカデミズムで良いが、「就職のために肩書が欲しい」だけの学生には社会で役立つ実学でないと意味がないかもしれない。要は、様々なニーズがあるにも関わらずすべてを同じ基準で学士として卒業させようとするからおかしくなる。実学かアカデミズムか、はたまた両方かを学生に提示し選択させればよいことであろう。もっとも勉強する気のない学生をトコロテン式に卒業させているなら、アカデミズムであろうと実学であろうと意味がない。本人にとっても社会にとっても無駄である
今日の一句「夢見たる 萌芽が育ち 花咲かせ」