大学の新設

久しぶりに東京に出向いた。水道橋駅近くの会社を訪問し、お茶の水にある明治大学の学生食堂で昼食、神保町の古本屋を冷やかした後、まだ陽が高いので大手町、日比谷と散歩した。風は冷たいが、ビル風が巻き起こすつむじ風で落ち葉がくるくる舞いあがり都会の中の晩秋を堪能した。丸の内仲通りのイルミネーションが点灯するにはまだ少し早いが、夕陽に映える銀杏がきれいだ。
大学新設の必要性が話題になっている。「学生が減ったから必要な大学の数も減るはずだ」というのは、要は「経営環境の悪化で大学ビジネスは儲からないから投資には値しないはずだ」との判断であろう。しかし、実際には18歳人口に反比例するように大学の数が増えている。多分、通常のビジネスとは違う儲けがみこまれるからであろう。
中学や高校レベルにも達しない学生に多額の授業料を払わせ、給与が削減された教員によるおざなりな教育で卒業させる大学は、社会から負託された大学の役割や教育の質はほとんど考慮されていない。遊び呆けるバカ息子にも学士の肩書をという親心につけもこむような大学は、お役所の基準に合致するからと文部省が認可したとしても、淘汰されるべき大学と言えよう。
今日の一句「木枯らしは 積もれる落ち葉 巻きあげて 見えない風を 誇示せんがごとく」