小学校で英語

藤原正彦の「国家の品格」を今頃になって読んだ。ベストセラーだとして紹介されていたのは、数年前だったように記憶しているから、こちらは時流にかなり遅れが出ている事になる。
英語より国語を重視せよというのが、彼の意見である。教育上、あるいは人間形成にとっても本をできるだけ沢山読むことが重要だということは同意できる。しかし、英語教育が国語教育の妨げになっていると言われると疑問である。本を読まなくなったのは、英語教育のせいではない。一日24時間をどう使うかを考えた時に、読書にあてる時間を阻害しているのは、何も考えずに受身で観るだけのテレビ番組やテレビゲームであろう。
日本人が英語を何ら必要としないのは植民地でなかったからで、名誉なことだと藤原さんは述べているが、国内に閉じこもっては居られない現在、パソコンや携帯電話同様、英語は日本人にとっても必要である。
問題は英語教育の中身である。中学、高校、大学と昔から何年間も英語は学んできているがあまり役立っていないのは、とっつきにくい受験英語のせいだといえる。ブロークンでも気楽に英語に接する事が出来れば、英語圏の人とのコミュニケーションは難しくない。藤原さんは、小学校で2,3時間英語を勉強しても何の足しにもならないとしているが、歌やゲームで英語への抵抗感をなくすだけでも大分様子が変わってくる。英語が話せないという恐怖感が無ければ、若い人たちはもっと気楽に海外留学に挑戦するであろう。
海外に出かけなければ英語はいらない、と開き直る鎖国的な考えもある。しかし、平成の日本人は地球人でもあるべきであり、英語は好むと好まざるとに関わらず、国際的には公用語なのである。
誤解のないよう繰り返すが、若い頃からの名作や古典に触れる事の重要性はかわらない。しかし、このことと小学校での英語教育とは矛盾するものではない。
今日の一句「図書館の 窓を開ければ 若葉風」