孤族の国の私たち

これは今日の朝日新聞の一面である。「55歳軽自動車の最後」なる記事、よく読むと男性の遺体が見つかった駐車場とは、我が家から歩いて10分足らずの所にあるアスレチック公園ではないか。逗子市を見下ろす高台にあり、春はお花見客でにぎわう公園で、私の気に入った散歩コースの一つである。
地方から都会への人の流れが加速し、単身世帯が増え、高齢化していく現在、多くの人が人知れず死んでいく。孤独死の問題もさることながら、生前の社会から遊離した孤独な生きざまに先進国と称する我が国のさまざまな問題が秘められている。
誰しもが幸せな人生を過ごして最後を迎えたいと考えているはずだが、個人と社会とのさまざまな軋轢の中で、人生観や価値観の異なる個々人の幸福感を等しく深めるのは容易ではない。最近話題にされる幸福度指数なるものの算出要因について、広く議論が深まれば、あるいは何らかのヒントが得られるのかもしれない。
10年後には団塊世代後期高齢者となり、多死の時代を迎えることになる。私にとっても他人事ではない。