女流作家の作品読後感

三浦綾子「母」小林多喜二の母の回想の形式で多喜二の生涯をつづったものであったが、すぐ泣けてきて電車の中では読めなかった。昔読んだ時はこんなに涙もろくはなかったはずだが、年のせいか。他方「石狩峠」は雑誌「信徒の友」に連載されたもので、キリスト教徒として主人公を正面に据えている。しかし、男性主人公の内面にどうしても女性的感性が反映されてしまうのは女流作家の限界であろうか。
他方、同じ女流作家でも芥川賞をもらった柳美里「家族シネマ」や島津佑子「草の臥所」は、倦怠の日々における女性の屈折した心の描写が中心で、起承転結のストーリー性が無く、私にとっては面白い小説とは言い難い。主人公たる女性たちの心情は男性にはとても理解出来ない、その意外性が細やかな心象の表現力と共に受賞をもたらしたということであろう。