時の鐘

昨日は花王の株主に対する説明会への招待状が届いたので東京に出向いた。説明会自体はスライドが見にくく、加えて社長の説明が聞き取れずで、改めてわが身の視聴覚の劣化を思い知らされたひと時であった。
秋晴れの上天気でもあったので、小伝馬町の十思公園にある時の鐘を見てきた。ここはかって牢屋敷のあった場所で吉田松陰終焉の地でもあるが、今は街中の小さな公園である。明治初期まで日本橋石町で時を知らせていた時の鐘は、今はこの公園内で展示されているだけで時を告げることはない。上野にある寛永寺にも寄ってみたが、ここには当時の時の鐘はなく、根本中堂の銅鐘は除夜の鐘などには撞かれるが、時を知らせてはいない。代わりに墓地の事務所の前にある小型の鐘を朝昼夕と鳴らしているそうだ。
今月の俳句会の兼題は「鍋料理」だそうだ。朝夕冷え込むようになり、様々な鍋料理が思い浮かぶ。
今日の一句「湯気立ちて 心和むは 鍋料理」
→ 鍋料理は一人では味気ない。わいわいがやがやと他愛のない会話がさらなるうまみを引き出す。